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森山愛子 歌姫19歳でデビューも芸能界に疲れ果て 一度はやめる決心した。

森山愛子演歌界の未来を背負う逸材の1人だ。“演歌界の貴公子”こと山内惠介と同じ作曲家、水森英夫氏の門下生で、デビュー15周年を迎えた。

彼女の芸名の“森山愛子”も、実はアントニオ猪木が命名したものだ。

 「“森や山など自然を愛する子”っていう意味で“森山愛子”。最初に猪木さんが書いてくださった字を見た時は“分かりやすい名前だな”みたいな(笑)。デビューCDのジャケットタイトルも猪木さんが書いてくださったんですよ」

 –そうして付いたキャッチフレーズが“闘魂の歌姫”。2004年5月19日に

『おんな節』でデビュー。

 恩師との出会いは、人気番組だった「ルックルックこんにちは」(日本テ

レビ系)の視聴者参加企画「女ののど自慢」が縁となった。


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 ■森山愛子 2歳で北島三郎を歌う

 もっとも「母いわく、2歳で北島三郎さんの『関東流れ唄』を歌っていたそうです」というほどの演歌大好き少女2歳で北島三郎とは恐れ入ります。

何はともあれ予選を突破して本選へ。審査員だった水森氏の目に留まり、故郷・宇都宮から東京へ通い、本格的なレッスンを受けることになった。

 「水森先生は厳しいけど愛情深く、歌手としてだけじゃなく1人の人間として自立できるようにと、いろいろなことを教えてくださいました。」

 4年近い修行の末、2004年に「おんな節」でデビュー。いきなり日本有線大賞と日本レコード大賞で新人賞を受賞するなど華々しいキャリアの幕開けとなったが、変化する芸能界の荒波に疲れ、一時は歌を捨てようと考えたこともあった。

 「与えられるお仕事が自分の意思とは関係なく進んでいるような気がしていたんです。東京の暮らしにも慣れなくて、25歳くらいのときに一種のホームシックになりました。歌手を辞めたくなって、泣きながら水森先生のお宅に行って相談すると、私の話を静かに聞いてくださいました。優しく寄り添ってくれる先生に、すごく救われました」

さらに「30歳を超えてからは、1人の女性として将来のことを考えるようになりました」とも。すわ結婚かと思いきや「いや、今すぐとか、そういうことではないんですけど…」と苦笑い。

 

 「会津追分」30センチバッサリ!気って挑んだ意欲作!

 キャリア初のご当地ソングとして昨年9月にリリースした12枚目のシングル「会津追分」(ユニバーサル)が3万枚を超えるロングランヒットを続けている。

 「これまでとは違う自分を見せたい」と、髪の毛を約30センチもカットして挑んだ意欲作。その甲斐あって今年2月には同シングルのDVD付きスペシャル版も発売され、「数字でも実感できるほど、大きな手応えがあります。でも、もっと上を目指したい」。

(紅白出場は)積み重ねの結果として出てくるものだと思っています。ですから、『必ず出る』という目標としてはとらえていません。曲をヒットさせることの方が大切です」(同じ演歌歌手で丘みどりが昨年紅白を決めた

 舞台に立つときは「無心で歌う」ことを大切にしている。

「うまく歌おうとか変な欲を出すと、歌詞が飛んでしまうんです。だから無心になって曲に集中する。今は『会津追分』を1人でも多くの人に届けることに専念しています」


 ■森山愛子(もりやま・あいこ) 演歌歌手。1985年1月27日生ま

れ、33歳。宇都宮市出身。2004年に「おんな節」で歌手デビューし、同年の日本有線大賞と日本レコード大賞で新人賞を受賞。若手実力派として注目される一方、05年から約7年間「王様のブランチ」(TBS系)にリポーターとしてレギュラー出演し、活動の場を広げた。


管理人ネタ次郎より

演歌少女はレールに乗って順調に歩んできた、しかし気がつくと自分の意思

とは違うのではないか!自分はこれでいいのかわからなくなった。

誰もが通過する青春時代のかくとう。森山は周囲の温かい励ましで

乗り切ったようだ。

ちょうど折しも先輩演歌歌手の大御所が「紅白歌合戦」から引退し、

若手演歌歌手が台頭しております。

森山愛子には若手演歌のホープとしての期待がかかっておりますぞ。ファン

のためにも頑張ってくだされ!!

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