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白川和子の若い頃から現在 ピンク女優から一流女優の証 田中絹代賞受賞まで

白川和子と言えば、年配の男性なら日活ロマンポルノを思い出すでしょう。しかし2018年に田中絹代賞を受賞。過去の受賞者は吉永小百合 倍賞千恵子 岩下志麻 松原智恵子などでいずれも大物ばかりです。その白川の若い頃から現在まで波乱の人生をたどってみます。

画像引用:https://search.yahoo.co.jp


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白川和子のプロフィール

本名:小西 郁子

生年:1947年9月30日(71歳)

出身地:長崎県佐世保市

職業 :女優

ジャンル:テレビドラマ・映画

配偶者:小西俊夫

代表作:映画「団地妻」シリーズ

:ドラマ「松本清張作家活動40年記念・黒い画集 坂道の家


白川和子の経歴

画像引用:https://search.yahoo.co.jp

長崎県佐世保市に生まれる、父は防衛庁勤務で自衛隊の幹部だそうです。そのためか

躾が厳しかったようです。あまり厳格に育てると子供は反発して親の希望と逆方向に進む傾向があります。白川のピンク映画出演はその表れかも?

中学、高校とよく勉強して成績優秀。

父の転勤に伴い東京に引っ越す。(中学のころか?)

東京都立目黒高等学校を卒業後、跡見学園女子大学に進学したが

在学中に女優業が多忙になり中退した

高校時代は演劇部所属、市原悦子に憧れる。女優になり市原との共演を夢みる。

白石和子 女優への道

画像引用:https://search.yahoo.co.jp

大学在学中劇団「赤と黒」へスカウトされて入団する。この劇団はSM色の強い芝居を上演していた。いわゆるピンク舞台でした。白川はまだ20歳ころでしょう。同時にピンク映画にも数多く出演した。よほど女優に憧れていたようです。

1971年、日活からスカウトされる、これが白石の運命の分かれ目でした。経営難であった日活が経営立て直しのために製作路線を変更した「日活ロマンポルノ」第1作目の主演女優として起用され、以後も「団地妻」シリーズへの主演で人気を獲得し、「ロマンポルノの女王」と称された。


白川和子の結婚引退

 

人気絶頂期に日活の社員と結婚、一時引退する。1973年の26歳の時でした。

17歳年上のしかも二人の子持ちヤモメ男性を選びました。当時の白川は男性の憧れの的でした。映画のように抱いてみたい女優さんNOⅠでした。多数の若者が映画館に足を運んで白川の裸体を眺めていた、それがあっさりと子持ちの中年男と結婚引退とは!

残念なことでした。

白石和子の結婚生活

「団地妻」を演じていた本人が本当の大阪・千里のマンモス団地妻になりました。

旦那は日活の社員なので給料も住まいも一般人と同じでした。しかし何故か白川の素性がばれて住民から嫌がらせとか、いじめがあったとか。映画スターは庶民と同じ生活してはダメだという見本ですな。

白石和子の現役復帰

画像引用:https://search.yahoo.co.jp

1979年、連続ドラマ『風花のひと』(日本テレビ系)に出演して以降、白川和子さんにはテレビや映画の出演依頼が次々に舞い込むようになった。

若い頃はピンク映画が主流でしたが復帰後は、テレビドラマ、舞台中心に幅広く演じております。

そして名誉ある「田中絹代賞を受賞」過去の受賞者は一例ですが

倍賞千恵子 、三田佳子、十朱幸代 、岸惠子 、 樋口可南子 、大竹しのぶ 、 香川京子 、 久我美子 、 浅丘ルリ子 ・・・等

など日本を代表する女優さんばかりです。白石和子さんはそれこそ裸一貫で築いた名女優の評価であります。うれしい話です。


まとめ:時事ネタ次郎

白石和子のデビュー舞台は有名な劇団ではなく、アングロ劇団出身であります。

ピンク劇団、エロ劇団との情報もあります。よくこういう舞台に出演していたものです。

一歩後ろはストリップ劇場であります。でも白川の幸運は同じ裸でも大手の日活にスカウトされたことです。ここで人気が全国区になり運命が変わりました。

1970年代、(昭和45年~55年)はビデオもなく、赤線は廃止、男が映画で女性の裸を拝見できたことは随一の息抜きでした。その

白川和子が71歳でも現役で活躍とはうれしい限りです。どうかいつまでも活躍期待しております。

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